ぼくはこの5月に15日間という長い期間フランスに行きました。もちろんワインの勉強のために行きました。そしてワインのみならずいろんな意味で勉強になりました。    まずフランスへ行って思ったことは、フランスは農業国だということです。ちょっとパリを離れると見渡す限りの広い野原。山はなく、丘、畑の連続です。どこも地平線が360度見渡せます。同じ農業といっても規模はとても大きい、我々のイメージの中のフランスはパリですが、ほとんどはのどかな広大な畑でした。そしてワインは農産物であるということ。考えてみればわかることだけど、ブドウから造っている限り、天候次第、人がかかわれるところはほんの少しだけです。ぼく達は工場の生産ラインから次々と瓶詰めされたボトルが出てくると、想像してましたが、違いました。  ぼくらが訪問した醸造元は16.その中には本当に家族だけでやっている小さな所もありましたし、旧貴族の経営で本当に大きな敷地、見えるところ全部そこの畑という所もありました。またドイツ、スペインなどから来てシャトーを買い取り経営している人もいましたし、底抜けに明るい南フランス地中海沿岸の醸造家一家もありました。  いろんな方とお会いし、握手を交わし、直に説明を聞きながら、丹精こめて造ったワインを試飲させていただきました。そしていろんなお話を聞かせていただきました。そしていろんなお話を聞かせていただいて、どのオーナーにも共通点があることに気付きました。それは「技術よりも風土、熱意で造っている」ことです。世界の流行に迎合することなく、自分の畑、土地の表現を目指しています。専門的に言えば、流行としてはカベルネとかシャルドネを使ったいわゆるボルドー、ブルゴーニュタイプのワインが流行っています。それらの品種は旅に強いと云われていて割りにどこで造っても一定の品質が期待できます。しかし、今回訪れたシャトーのオーナー達は、自分の畑にあった土着の品種で、その土地の表現を目指しています。最も地域性のあるものこそ、最も普遍的なんだということです。  また1本の樹からの収穫量を剪定することによって、ぐっと落としています。また農薬、除草剤を使わず、回りは雑草だらけにしてブドウの樹にストレスを与え、養分を取るためにブドウに自分で雑草より深く根を伸ばすようにさせています。また、地中の微生物の働きを大事にしています。古い樹を大事にしています。樹齢60年、70年というのもごろごろあり、そういう樹は当然収穫量も少ないです。そういう樹は全て膝くらいの高さしか伸ばささず、枝も徹底的に剪定して、結実させるのは一本に4〜5個くらいです。そうやって本当に凝縮した一房一房を大事に収穫し、絞り、発酵させています。発酵に使われる酵母も、もちろん蔵に何世紀も前から住み着いている自然の酵母を使います。こうやってできたワインは本当においしく、ワインの中に、畑の地中深くの鉱物の香りがあるように思います。彼らの多くは情熱的な醸造家ではあるが、商売人ではないので資金繰りには困っています。巨大なシャトーと違い、一枚の畑に(日本の常識から云うとかなり広いが)すべて賭けているので、もし収穫時期を誤ったりすると、収入が全く一年間ないわけです。というわけで彼らはほとんど日中は畑に出ています。自分の畑は隅から隅まで、まるで畑のミミズ並みに知っていると思います。そういうワインは地元ではグランクリュ並みの扱いを受けていて、生産量も少なく、殆ど地元のみで売り切れてしまいます。  今は世界的なワインブームですが、本来人間が造り出したはずの銘醸地も、その名声や伝説ばかりが一人歩きしている感があると思います。その「運命的風土宿命論」の呪縛から解き放たれる日も、彼らフランス各地の若き情熱的醸造家を見ると、遠い将来でないなと思いました。